鳥羽商船同窓会ホームページ

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2023年12月26日(火) 第28回鳥羽商船バレーボール部OB会の開催

令和5年10月21日に第28回鳥羽商船バレーボール部OB会を開催しましたのでご報告します。
前回の開催が令和元年でしたが、苦難の年を乗り越えて本年は無事開催に至りました。

毎年参加のOB/OGに加え、卒業したばかりのOB/OGも合流し、にぎやかなOB会となりました。
名誉顧問である船橋教官の元気なお姿もあり、これぞ鳥羽商船バレー部と懐かしい気持ちになりました。

生涯スポーツとして向いているのか単に好きが高じてかはわかりませんが、バレーボール部のOB/OGは卒業後も社会人バレーに参加している人が多いです。

今回のOB/OG・現役の交流戦では、昔取った杵柄ならぬ、現在進行形で成長しているOB/OGの実力を遺憾なく発揮し、OB/OGが圧勝していました。

バレーボール部OB会はこれからも開催していきますので、この記事をご覧の方はぜひ次回のOB会に参加いただけましたら幸いです。

H16I卒 中井一文(伊勢志摩支部)

2023年11月07日(火) 高専5期生の集い

~卒業後47年ぶりの再会~

 去る令和5年10月14日(土)、鳥羽シーサイドホテルにおいて、高専5期生として入学、卒業した4.5期生、5.5期生を含んだ航海科15名、機関科15名、総勢30名が集い、寮生活等の青春の思い出にひたり、卒業後47年ぶりの再会に酔いしれた。
 ただし、残念ながら既に鬼籍に次の者が入り、宴席の前に皆で哀悼の意を込め黙祷を捧げた。
敬称略
 航海科:松本 十河 太田(旧姓井上)
 機関科:村山 木村 柏木 椿
 久しぶりの再会、紅顔華憐な美少年も長い年月での、それぞれの人生を乗り越えた顔の変遷(頭髪の減退等)で、名前と顔が一致しないケースもあったが、学生時代に生活した暁寮のA棟2階・3階、B棟1階等の共通話題により、記憶がよみがえり、お互いが確認することができた。(認知機能?)
 中には、会場に到達する前に、学生時代に乗降した近鉄「池の浦駅」で下車して、学校、寮を通過し、青春を謳歌した(?)「やきめし坂」を闊歩し、鳥羽駅に到着した強者がいた。(目的があれば健脚となる。)
 宴会時には、半世紀のブランクから自己紹介(入学時にもありましたね)したところ、ようやくお互いの素性、歩んできた人生、現状が認識できた。
 5期生以降、しばらく海運界の不況もあり、卒業時の外航始め船員の求人が低迷し、以前に比べて船員への道が狭き門であり、多種多様な分野に進んできた。
 海事知識を活用し、港湾運送事業者、船舶代理店、船舶管理会社、港湾管理者始め、機械メーカー等で活躍し、現役を引退した者、引き続き業務をこなしている者がいる。
 その他、各方面に進み、辣腕を振るった者もおり、たくましい限りである。
 また、今回、3年で退学し、大学へ進学した者も出席しており、そのうち1人は商社から某有名アパレルメーカーに進み、副社長を務めている者もいる。
 それでも、初志貫徹、船員となり乗船履歴をかさね水先案内人に従事している者もいた。(羨望の眼差し)
 つまるところの思い出・話題は1年生時代の寮生活、だれだれの作業員、説教とその時の記憶は鮮明にあり、同じ釜の飯を食した仲間との連帯生活であったことが、今となっては良い(?)想い出であった。
 また帰省した折に、伊勢市付近にある横浜ゴムの工場を見かけると、寮に戻りまた1年生生活の現実味を帯びることが共通の認識であった。

 宴会終了時に、古希を迎え、学校創基150周年、同窓会設立100周年となる2年後、令和7年に次回開催とし、鳥羽の地での再会することを確認した。
 二次会は幹事部屋に酒、乾物などのつまみを持ち込み、さらに話しは盛り上がったが、誰かの紳士的な一言で、割合と早い時間で散会し就寝した。
 翌日は、老年となったこともあって、目覚めが早く、朝食会場が開く前には会場入り口に並び食事を済ませたのち、2年後、元気な姿での再会することを挨拶として、三々五々、帰宅の途についた。
(申し遅れたが、遠方は北海道(菅原)、青森(岩見)から)
 総幹事の菅原さん始め幹事のみなさんお疲れさまでした。有難うございました。次回もよろしく、お願いします。

出席者
順不同・敬称略
航海科
稲益 亀井 菅原 中村 林 藤本 三輪 浅井 小笠原 河合 千道 坪井 徳田 河本 増瀬 15名
機関科
池村 岩見 上村 木口 竹内 高橋 星野 石原 加塚 杉本 下村 古川 奥 関山 漁野 15名
総勢 30名
幹事
東日本地区  稲益◎菅原
中部東海地区 小笠原 加塚
伊勢志摩地区 畑
西日本地区  徳田 奥
◎ 総幹事

令和5年11月1日
記 加塚 伸吾

2023年06月20日(火) 平成16年卒(I12期)制御情報工学科同窓会を開催

5月4日(木)、平成16年卒(I12期)の制御情報工学科同窓会を開催しました。

コロナ禍ということもあり、集まることに少し抵抗がありましたが、参加したいという声が多かったこと、今年が卒業後20年目という節目でもあることから開催を決定することにしました。

卒業後、20年も年月が経つと、「老けたね」や「変わらないね」など相変わらずの声掛けから始まりました。
海学祭やイベントなど20年前の思い出話や始まり、仕事の苦労話や子供話などに華を咲かせながら、あっという間に3時間の同窓会の楽しい時間が過ぎました。
次回もゴールデンウィークに同窓会を開催することを約束し、解散となりました。

写真中、1名は同窓生のご子息です。

百周年記念館前で記念撮影(同期生とご子息)

2023年04月04日(火) 第87期(高専1期生)関東在者同窓会

前略

4月2日(日)東京において、第87期(高専1期生)の関東在者による同窓会を開催しました。

3名が都合付かず欠席で、参加者は8名でした。

コロナで中断していた地方での同窓会を久々に再開しましたが、随分と様子が変わりました。

現役で仕事をしているのは2名、あとの6名は完全に年金生活者でした。

また、3名がドクターストップでお酒を飲めず、ソフトドリンクで酔っ払いにお付き合いしました。

写真の右奥から:小林、北野、矢野、山田

写真の左奥から:山本、小出、冨岡、田中秀紀

今年の秋の再会を約束して夕方解散しました。

*1名1.5期生もいます。

草々

幹事 田中秀紀
幹事代行 冨岡


2023年02月21日(火) 練習帆船模型「あまき」修復プロジェクトについての報告 その2

同窓の皆様へ

11月29日に三井伊勢志摩支部長が報告した当Project【練習帆船模型「あまき」修復プロジェクトについての報告 】ですが、今回から竹内(S44E)が報告します。



運び込まれた8月には良く出来た幽霊船でした。まず業務用集塵機を購入し埃を吸引しながら掃除に掛かりました。

👈👈 デッキ面の白く見えるのは埃です。

3年掛けてやれば良いと聞くものの、どんな仕上がりにするべきか、何処までやれるか、と迷いと不安の夏でした。

👆銅板は腐食と汚れで濃褐色に見えます。元は水面上を黒く塗り白横線を強調していました。
上部はニスが変色して濃い茶に見えます。
👆10月水線下の木材と銅板を磨く。塗装を掃除したら木目が出てきました。

2月 👉 👉
外舷部は黒ステインの5回塗り。銅板と上部はクリアーラッカーの1回塗り。水面下の銅板には銅釘を使用しています。実物同様の電蝕対策です。銅板貼りは当時最高の船喰い虫対策です。

👆12月末 風化した表面は全面一皮削り、銅板磨きには1週間かかりました。

2月に成り半年が経ちました。

試行錯誤の結果、船体のペン塗りはせず木地肌を尊重します。100年以上の風雪に耐えたこれは、模型ではなく1/32の実物というべきです。固い無垢材で作られた胴体は釘もハンマーで打てるし重くてごしごし磨ける、風格ある力強い塊です。

製作には3名の同窓生が協力してくれています。
帆布類は三井氏(S43E) 救命艇は長谷川氏(S44E) 天馬船は小松氏(S43E) よろしくお願いします。

2023年02月04日(土) 南寮・北寮(白菊寮)時代の思い出

同窓会の懇親会で寮の入浴に関する思い出話をされた人が居て私も思い出しました。
私の場合、1年生の時の入浴時間は意外とほっこりした思い出であり個人や年度によって相当違いがあるなと思いました。以前の寮生活には今の時代なら想像出来ないような事もありネガティブな記憶があっても当然です。しかし後で考えれば良い経験になったという人が結構多いので救われているのです。だが、終わり良ければ全てよし、でいいのか、とも思います。でも、まあ。この機会にどうして入浴は「ほっこり」の学年もあるのか、半世紀前を振り返ってみます。これを見て各年代の回想記が次々と出てくれば面白いかも知れません。

我々の学年は高校の最後で昭和41年入学、勿論全寮制で、今は何もない海のそばに南寮、北寮がありました。それらは今の本校舎と同じ向きに2棟立っていて、写真の左側(通称焼き飯坂)方向に食堂や相撲の土俵が有りました。(写真A,Bご参照)
故郷の海を愛する会の12月イベントでロボットの実演を見せてもらう建屋、あの辺が食堂だったかな。それより入り江側に4人部屋が60以上、4階建てだが居室は2階以上なので各階に10以上の部屋数があって全寮制が成り立っていました。寮はここだけなので白菊寮とは呼んでいませんでした。

  • 入浴のルール

18時の点検を入口広場で受けたら1年生は一目散に部屋に戻り入浴道具を持って北寮の1階にある浴場に直行でした。というのは、30分で全員が終わらないといけなかったからです。その後の風呂はがらがらで2,3年生はぶらりと来てゆっくり入る、21時から1年生5人と掃除委員(2年生)が風呂掃除でした。今なら人権問題かもしれませんが、我々は30分ルールに素直に従い交代に素早く洗う事を覚えました。1学期などは緊張が続く朝夕で、上級生とすれ違うと大声で挨拶して、顔を見てはその人の名前を覚えているか、あれはXXさんか?いやYYさんだと1年生同士で確認していました。(話す時に、あんたという訳にも行かないので名前を早く覚えるしかないと指導された)そんな日常のなかで1年生しかいない浴場は、伸び伸びと裸の付き合いが出来る場所でした。色々な思い出があります。

例えば隣のカランで洗っているY君が、「最近この辺が痒いんさ」と股間を指していう。どうやら彼は陰部を積極的には洗わずに今まで来ているが、部活で汗だくの毎日で痒くなってきているのだ。それで私は大袈裟に「ごしごし洗うさ。シャンプーも使うぜ」すると彼は「あーらおっ。」人生初の陰部石鹸洗いを挙行したのでした。

他にも、H君が背中をタオルで洗っているのを見ると短距離走者のように下げた左右の腕の前後運動で擦るだけ、上の方は洗えていない。それを見た両隣の2人で片手は肩の上に持ち上げて斜めに擦るのさ、と教えました。紅顔の17才達はそれまでの偶然やそれぞれの成り立ちで洗い方も様々だったのですが、芋を洗うような80人浴場で洗練されたのです。忙しいけど同級生交歓の一時でした。

  • 学友さんの存在と優しさ               

上記のような入浴の仕方、敬語の使い方、上級生に対する挨拶、敬礼の仕方、そして不思議な四文字熟語などは、入寮の瞬間から1年生の部屋に来てくれる学友さん達に指導されていました。社会に出た時には役立つ習慣ですが、相当急速に教わりました。「学友」というのは、2年生の一名が新入生各人に対して必ず一名決定されている世話役の事です。(互選で決める、同一出身地が多かった)
まだ親が一緒で、寮に荷物を持ち込んだりしている時から来てくれて、私が面倒をみます、と挨拶してくれていました。私は隣街の伊勢出身で親も含めて本校の予備知識(恐い所らしい)もあり、同じ中学の先輩の学友さんの初日アドバイスを素直に聞き懸命に覚えました。「至誠一貫」「 率先敢闘」「 和親一致」「 責任完遂」 生徒規箴(諌める言葉)とか他にもメモしてあった 口上文(船乗りのモットーなど) などです。しかしこの初めての経験に違和感を持つ少年もいて、何故、2年生がここまで詳しい指導をするの? と不思議がる。(今に分かる、度胸養成の大声朗読訓練が今日の消灯後からあるのだ)「お前が覚えんと俺が怒られるから言う事を聞け」と言う人もいました。いずれにしても最初の3日程は一部屋4人の1年生に対して殆ど2人以上の学友さんが来ていて教えてくれ、怖い3年生が訪れる時も付き添ってくれていました。中の一人に余り口数は多くないが、優しい目をして良く来てくれる人も居ました。やや北国っぽい抑揚で何時も「頑張れよなぁー。」と言って部屋を出る人でした。あれを聞くと堪えるしかないな。と4人で頷いていました。

こういう雰囲気と教え方はそれまで続いていた横割り体制の積み重ねの結果であり、入浴もそれでスムースに行ったのだと思われます。

  • 横割りと縦割り、この大きな違い

横割りの場合は親切な指導も、怒鳴り声で脅かしながらの大声朗読訓練も全て横並びです。(入口側に立って並ぶと最初で緊張して損です。)自分の学友さんが余り親切でなくても4人の内二人位は丁寧な人も居て4人共にその恩恵を受けられます。その代わり、あの階に行けば1年生ばかりだという事で、やんちゃな3年生が大威張りで各部屋を回るのもやり易いのです。

 

さて1年生の下半期の部屋替えでは寮室の組み合わせが何故か縦割りに変更されました。(理由は不明)4人の部屋に1~3年が混じって入り、部屋によってどれかの学年が2人に成ります。私の部屋はE-3,N-2,E-2,E-1の組み合わせに成りましたが、E-3とN-2の方のウマが合って勉強しながらよく様々な会話をしていて私は面白く聞きその話に入る事も偶にはありました。部屋に出入りする2、3年生が同級生同士でどんな話をしているのかも予習勉強でした。縦割りの場合、上級生と下級生であっても生活の中での個人同士の関係も深まり上下関係の色は薄らぎます。そして3年生の性格によって部屋の気風は支配されます。

新入生への脅かしっぽい教育は縦割りでは起きにくく長所です。だが逆に何らかの初期教育は必要になり、指導係、指導要綱を決めて日本間に集めて集中的にやる。(歌の会のように)とかの方法を取る必要があると思っていました。

所が、なんと次の新学期から又、横割りに変わりました。何故かと言うと4月に来る新入生は高専生だからだと聞こえてきました。学制が異なり授業内容も就学期間も異なり、学校は立派になるらしい。だが寄宿舎の住み分けまで何故変えるのか?我々高校生達は少々憮然となりました。高専生と我々を隔離すると感じたからです。学校側はそんなメンタルは気にしておらず制度変更時期の運営困難を避ける為には当然だったのでしょうが-。

縦割りは良い所も多く高校でも高専でも縦割りのままで寮内自治の規律、良識、今でいうコンプライアンス等の意識を高めるべきだったでしょう。だが、高3までの少年には少し難しいテーマと思います。

こうして振り返ると入学した若者が感じる学校の印象とは、横割りか縦割りか、直前の制度変化などの影響を大きく受けます。在校生も初めての事なら慣れがなく配慮出来ない(最初の教育のシステムが未熟)事もあるでしょう。舎監とかいう立場の人も居ないのですから-。私は怖い横割りと優しい縦割りを経験できた幸運者でした。

  • 記憶に残るささやかな改善

こうして横割りのまま3年生になった我々は、次のストームはどうするか、というテーマで日本間で話し合った記憶はありますが1年生の初期教育はどうするべきか、というようなテーマは流石に荷が重くて記憶にないです。緩くすると反動で却って危険になるという意見もありました。だが新入生が直ぐ辞めてしまうのはいかんぜ、明るくしよう「民主化」だ。言葉は変ですが、そういう意識はありました。

3年の春に改善になったな、と覚えている一つは「自己紹介」です。入学の二日目の放課後、寮内放送して当直教官も呼んで広い食堂に2,3年生が座り、学友の指導のもと中央の台に登壇した1年生は、順に「私はxx県xx市xx中学校出身のxxxxです。宜しくお願いします。」と挨拶しました。緊張して詰ったり「声が小さい」と言われる子も居ましたが、アドリブを加えて沸かせる子も居ました。楽しくOpenな雰囲気で執り行いました。演出が誰だったか、よく覚えて居ませんが生徒会長のA君達と教官が前列で拍手していたのは覚えています。

もう一つは、高専になると新たな規約で執り行われるだろう学生会の新規約について、学生側から希望を出していけよ、という趣旨で意識の有りそうな2年生を集めて話し合いを何回か行い彼らが提案を纏めました。(こういうことは寮では直ぐ出来る)高専生の2年生が学校に申し入れをし、その後の生徒会役員の選挙はその希望が盛り込まれた方式で行われていました。

普通の高校ではあり得ないような勉強以外の様々な事を多く体験させられ考えた高校時代でした。

我々の在学中の思い出は既に「考古学」なので却って話し易く、反芻するなど長い時間軸の各部分が触れ合う事も無意味ではないと思います。

以上 


竹内大助(S44E) 記

2023年01月17日(火) 88期会・古希の同期会

去る12月3日(土)に、鳥羽の安楽島にある花真珠に於いて、88期会・古希の同期会を行った。我々同期は、5年ごとに場所を変えて同期会を開催している。前回は二見で行い、次は大阪でとなり、大阪出身の村木と小生が幹事となった。しかし、2前に発生したコロナの状況をみると、どうしたものかと悩んでいたが数人のメンバー(大倉・山口、横井、水野、江尻)が発起人になり、開催地を感染者が大阪より少ない鳥羽に変更して、9月に開催を決定した。今回は古希という節目なので、昭和43年入学同期の人達を対象に呼びかけることにした。時間があれば往復はがきで案内を出すところだが、皆で手分けして、電話・ラインで連絡をとった。N・E合わせて88名(物故者11名除く)の内70名と連絡が取れた。その結果、42名の参加連絡があったが、開催直前に持病の悪化やコロナ濃厚接触等の為欠席者5名になり、最終的に37名+奥様2名の39名の出席者となった。ゲストとして同期である菅沼同窓会会長の要望もあり、来る3年後の創基150年・同窓会設立100周年、新練習船竣工の三つ慶事を学校と協力して成功させるため、学校長の和泉充校長を迎えた。又、奇遇にも物故者のお孫さんが姉妹で在学生としておられたので、親子3名も招待し46名で開催した。15時頃から受付を始め、最近会った友はわかっても、数十年ぶり、中には卒業以来という友もいた為、顔を合わしても暫くわからなかったが名前を聞いてわかり、すぐに打ち解けた。

暫く温泉入浴や歓談してもらい、17時45分ごろから記念撮影をし、物故者の黙祷、現在闘病中の同期の近況の後、菅沼会長の挨拶、塚田の和泉学校長への激励スピーチ、横井の作詞作曲の【和泉学校長に贈る歌】の披露、続いて和泉学校長のスピーチ。ご自分の経歴及び現在の学校の状況と激励スピーチ、贈る歌について感謝の言葉を述べられた。食事の前の乾杯は、難病を克服してリハビリ中であるにも関わらず出席してくれた阪田がやってくれた。宴会が始まり、各々和気藹々と食事・歓談をした。余興としてカラオケや、校歌・古希の歌(横井作成)、古希ん和歌集の発表、また入学時の白菊南寮時の部屋名を各自思い出して書いてもらったが、完成には至らなかった。やっぱり54年は立ち過ぎかな?中締めの前に江尻から、絵の得意な竹島に慶事の絵を描くよう皆に前で依頼し、その絵に横井の詩を書くということで決まり、完成後学校に寄贈することになった。中締めは、現在も創業した会社で会長として、頑張っている中川がやってくれた。3年後の慶事を成功させる為、同期の協力を依頼した。又、次回の幹事を谷村・藤田及び、開催地は東京に満場一致で決定して、21時に終了し散会した。散会後は幹事の部屋で有志が集まり、駄弁りを深夜までした。又、大倉が皆に依頼して撮った写真をアルバムにしてくれて、後日参加者に送った。届いた仲間から感謝の連絡あったことを付け加えておく。


令和4年12月25日 記:神子 功

 <写真の名前>

後列:山崎,横井,田中,村木,内山,宮地,大橋,平田,谷村N,古屋,片寄,大澤E,岡崎,森下,江尻,中井子女

中列:神子 ,和田,鹿野,久米,阪田,水野,山口,太田正巳,竹島,鈴木,伊藤N,核,橋本,中川鬼澤,大倉

前列:水野奥方,藤田,塚田,菅沼,和泉学校長,野村,原,太田正,江尻奥方

2023年01月10日(火) 高専12期生・(昭和53年入学生)同窓会開催

 令和4年12月10日、ホテル&リゾートISE-SHIMA(旧伊勢志摩ロイヤルホテル)において、昭和53年春に当校に入学した者達の第3回目の同窓会を開催致しました。

 当同窓会は、10年前の50歳を期に当ホテルで開催し、その後5年ごとの開催計画となり前回の浜名湖から5年が経過したものの令和2年年明けから、ほぼ3年間と長期にわたるコロナ禍の影響で多人数の集まりは勿論、飲酒宴席など困難な状況下であった事から本年は開催を見合わせる方向であったところ、世論の施策上の方向性の変更もあり旅行、集まり、飲酒等が緩和された事も後押しとなり参加者20名での当会の開催となった次第です。

 今回が3回目ともなる事から、参加者のほとんどが宴会までに間に合えばと気負う事も無くのんびりと現地入りしフロントや予約された部屋のフロアー、大浴場等にて「おー○○。久し振り。」等と挨拶を交わし再開後、程なく宴会も始まり開始当初は、お互いの近況、特に年齢からか健康に関する会話が多かったものの酒が入り進むにつれ、いつものとおり楽しくもあり辛くもあった寮生活での昔話となり特に数々の悪行の暴露、話題で話が一気に弾み潤滑油も回ってきた折りを見て幹事の廣から1分間スピーチの課題を課せられ個々の近況報告となり1分間では収まらない者もあったのですが参加者は元より欠席者の情報も含め皆、年相応で

・第二ステージとして、王道のパイロットとして活躍している者。再雇用も含め現役で海上や陸上で海運関係に携わっている者。

・退職し次の職を探していると言いつつも、自由の時間を少し謳歌している者。

・他分野での企業や起業、家業等のトップとして奮闘している者。

・家族構成は様々なるも、ほとんどが現在は夫婦2人での生活になっている者。

また、特異な趣味として早期に進路変更し某県で獣医師をしている某氏は、入学当初の乗り物への意識興味が凄かったとの理由から軽飛行機の免許を取りました。との想像を絶する話題もあり驚かされた次第で、その後は、同ホテル内での二次会、元気な者は更に部屋飲みと時間を惜しんで過ごしていました。

 翌朝となり、朝食時等に「また5年後な。元気で。」とほぼ40年前の学校での会話のトーンで三々五々帰路についた次第でした。

参加者

・後列左から山本(光)、親泊、東(元)、久末、小崎、小島、濱口、前川

・中列、瀬川、岡本、橋爪、廣

・前列、倉田(山中)、山下、大山、牧野、釣田、滝口、露峰、津島
以上20名
尚、今回の同窓会を振り返り、二次会から駆け付けて頂いた、52年入学の奥村さん、本来なら開催先送りの状況下であったにも関わらず孤軍奮闘し企画、手配、案内準備等を全て行ってくれた幹事の廣氏、体調不良にも関わらず家族の全面協力で参加してくれた牧野氏への感謝と、再会することが叶わない吉原、北村、出田氏のご冥福と同窓生の健康を祈り次回の開催、多数の参加を心待ちにしております。  

投稿者  前川 剛