2022年12月06日(火) 令和4年12月2日 政策提言 海ごみ問題を解決する道づくり
海ごみから革新的な社会を考える会
代表 小木曽順務
(一社)全日本船舶職員協会会員
(株)おぎそ 会長
令和4年12月2日 政策提言 海ごみ問題hを解決する道づくり
(IMO情報追記全13頁)
海ごみから革新的な社会を考える会
代表 小木曽順務
(一社)全日本船舶職員協会会員
(株)おぎそ 会長
令和4年12月2日 政策提言 海ごみ問題hを解決する道づくり
(IMO情報追記全13頁)
2022年7月18日(海の記念日)、鳥羽商船を主管校として池の浦湾特設コースに於いて実施されました。
当日の天候は快晴、風はほぼ無風、海面はベタ凪の状態で最高の大会日和となりました。
コロナ過でも有り、残念ながら大島商船が参加辞退となりましたが、他の4校での熱戦が繰り広げられました。
前半はBチーム・Aチームの各予選を行い、後半ではBチーム・Aチームの各決勝が行はれました。
予選Bチーム第一試合は弓削vs広島。勝者はどちらか見ていませんでした。
(本音、どっちでも良いのでスイマセン)
鳥羽はクルー全員が円陣を組み一人一人雄叫びを上げムードも最高潮に達し、いざ出陣しスタートラインに位置し号砲と共に漕ぎ出しました。
回頭地点は沖合750m、富山をブッチギッテ回答を無難に終えゴール目指して漕ぎ上がり、ゴールでは3~4挺身差(少し盛ってます)で決勝進出を決めました。
(富山は12人の漕ぎ手の内、女子生徒が5人とかなりのハンディが有ったと思い ます。カワイソ~ 涙)
Aチーム予選第一試合は我が鳥羽vs富山(前評判では優勝候補の最右翼と言われていました。)我が鳥羽は例の如く円陣を組み、訳の分からない雄叫びを一人一人上げ(笑ってしまいました)颯爽と艇に乗り込み、いざ出陣とばかりにスタートラインへ向かいました。ゴールには富山に約3艇身差(ほんとかな?)をつけ決勝に進出しました。
直ちに次はBチームの決勝が始まり、鳥羽vs弓削vs広島の3艇(富山はタイムで拾われず決勝進出を逃しました)での戦いです。
例によって円陣を組み4訳の分からない雄叫びを上げ一人一人吠えて(笑い)艇へ乗り込み、スタートラインへとゆっくり漕ぎ出しました。(勇ましいですね~)
3艇が揃い、号砲一発一斉に漕ぎ出しました。
今回もブッチギリでゴールするかと思いきや、回頭地点で2位の広島に1艇身差を付けられ、見ている此方はありゃりゃのりゃそんなバナナあっ間違いそんな馬鹿なと思っていると、何となんと追い上げが始まりゴールでは2位の広島に半艇身差まで追い上げ堂々の3位(ホンマカイナ)となりました。3位(ドベ)なのに意気揚々と引き上げてきました。(ナンノコッチャ)
Aチームの決勝です。我が鳥羽vs弓削vs広島の3チームです。
優勝最有力の富山は何処へ行っちゃったのでしょうね~。
予選タイムは広島がダントツで速かった。
我が鳥羽は例の如く円陣を組み訳の分からない雄叫びを一人一人上げ、さらにそこにBチームのメンバーも加わり、意味不明なる叫び声を上げ盛り上がっていました。
クルー一同は艇に乗り込み悲壮感漂う雰囲気を身に纏い、いざスタートラインへと漕ぎ出していきました。
3艇の位置が整い、各艇白旗が上がり、号砲一発一斉に漕ぎ出しました。
摩訶不思議な事がおきました。
最初に回頭を始めたのが我が鳥羽の艇で無事回頭地点をクリアし、徐々にピッチを上げゴールラインを通過するときには、2位(どっちの学校か分かりません。多分弓削かな?)に3艇身差を付けてブッチギリの優勝を果たし、クルーはポンツーンに戻って来る時には、櫂立てのパフォーマンスで、盛り上がりは最高潮に達し応援の人々から拍手喝采で迎えられました。
閉会式は暑さと腹のすき具合からパスさせてもらいました。
次年度の健闘を願い家路へと車を走らせました。
以上、私の偏見と少しばかり話を盛りました観戦記でした。
※ちなみに、現在のカッターはFRPでできています。船足は早いです。オールも軽くて 女子生徒でも軽々と櫂立てを行えます。
伊勢志摩支部理事 木下 勝(S49E)
「 鳥羽商船 一般艇 タイム3分13秒19 」
「 鳥羽商船 シニア艇 タイム3分15秒22 」
第39回横浜カッターレース 3年ぶりの開催
多数のご参加をいただき,無事終了しました。
結果
●一般艇 3艇中2位でゴールも 予選通過ならず 決勝進出には30秒以上短縮要
やればできるはず? 来年は 現役カッター部員の数名参戦のうわさも・・?”
●シニア艇 レース3位着 今年も入賞かなわず 入念に準備するも
経年劣化も影響したか・・? 来年もがんばります!
レース後、中華街での反省会(今年も)
冷たいビールが進み、楽しい1日を振り返りました。 今年も、楽しく、頑張りました。
皆様、ご協力ありがとうございました。
幹事 鈴鹿 文彦
一般艇 | 新造(精鋭) | ||
---|---|---|---|
艇長 | 宮本 一彦 | 9N | |
艇指揮 | 大滝 恒 | 26N | |
漕手 | 小脇 斉 | 18N | |
漕手 | 小林 泰之 | 23N | |
漕手 | 遠藤 蒋実 | H20N | |
漕手 | 木瀬 良平 | 17E | |
漕手 | 木下 友喜 | 33E | |
漕手 | 田中 伸一 | 15E |
シニア艇 | 360才 + α | ||
---|---|---|---|
艇長 | 村山 聖志 | 6E | |
艇指揮 | 福田 憲二 | 9N | |
漕手 | 稲益 義久 | 5N | |
漕手 | 三輪 康広 | 5N | |
漕手 | 林 俊克 | 5N | |
漕手 | 山田 元昭 | 9N | |
漕手 | 高橋 繁 | 5E | |
漕手 | 内藤 文司 | 5N |
求人要綱は以下の通りです。
・職務:
自動車専用船のフォアマン、
コンテナターミナルのプランナー業務
本人の希望に応じて物流倉庫における倉庫職員
輸出入貨物の集荷営業、通関業務などの業務を担当
・資格、経験:
物流関係の業務に関心のある方
・勤務地、勤務時間:
勤務地 本社および名古屋港周辺、東京、海外(在宅勤務制度有り)
勤務時間 08:30〜17:00(フレックスタイム制度、時差出勤制度有り)
・給与
資格・経験により決定
・待遇
総合職
・応募要領
メール若しくは電話にてお申し込みください。
・募集人員
若干名
・募集期限
無期限(採用者獲得まで)
・その他
日本郵船株式会社のグループ会社として、名古屋港をベースに港湾運送
事業、倉庫業、通関業などの総合物流サービスを提供する企業です。
・会社名、住所
旭運輸株式会社
愛知県名古屋市港区入船2−4−6 名港ビル
・会社事業内容
港湾運送事業
貨物利用運送事業
通関業
海運代理店業
倉庫業
その他関連事業
・会社連絡先
総務人事グループ人事チーム(採用担当:川瀬、佐野)
Tel : 052-651-1113
e-mail : jinji@auk.co.jp
・会社ホームページ: https://www.auk.co.jp/
4月19日同窓会総会案内を住所判明している約3500名の同窓会員に送りました。
今年の総会は3年ぶりに対面で母校鳥羽で6月12日に開催いたします。
コロナ対策は十分行ったうえで開催しますが、今後感染状況が悪化し、やむなく中止になった場合は このホームページで全員に周知させていただきます。
送付作業参加協力者
漆山順三S29N、武部二三男S38N、三井建次S43E、武田雄三S44N、竹内大助S44E、江崎隆夫S44E
濱地安実S47E 、山口伸輔S48N奥さん、木下勝S49E、西山明S50E、 高木宏明S52E、畑辰幸S51N
上村健太S63E、在校生西山琳・紫 母子、事務局糸川H16I
以上の皆さんです。
ありがとうございました。
来週初めには皆様に届くと思いますが、このHP投稿をご覧の方で届いてない人は同窓会に連絡先をご連絡ください。よろしくお願いします。
事務局
昭和33年(1958年)に入学した私たち国立八期生、航機60名の中で卒業後15年程したころより船員としての船会社、陸上勤務者、港湾関係企業などに勤める東京近辺在住者が随意に交流の機会を持っておりました。国立八期生としてのクラス会は続いていましたが同級生の居住地が広範囲にわたっているため75歳を過ぎたころより一堂に会するのは負担にもなり母校のある鳥羽で開催後は関東、中京、関西地区で続けようと言う事になりました。今は関東地区18名、中部地区11名、関西地区6名程の構成になっていますが関東地区で行う場合地区の垣根を越えて 17~18名の同級生 が集まっています。
今回は関東地区の集まりについてお話することにします。
それ以前から、陸上勤務になった坂倉君が旗を振ってくれて2~3年に一度程の間隔でクラス会を持っていました。
つてを頼りに会場は 郵船、商船、Kライン、山新等船会社の保養所、海員会館等、又、品川駅前の嵯峨野という大きな居酒屋も使っていましたが会場探しに苦労していました。2012年からは明治神宮に隣接している代々木俱楽部に会場を得てから定着したようで、コロナ禍により中止せざるを得なかった2020年を除いて毎年続いてきています。最近の“ヒュ-マニエンス“というNHKの科学番組の中で”人は成長期に長く共にした寝食により腸内の細菌を組成するDNAが同じものになりその結果腸内細菌同士が友を呼びあうようになる“という意味のことを言っていました。毎回顔を合わせれば昭和33年入学以来64年の時間は一挙に飛び越えられます。まさにこれだとクラス会の妙味に納得がいった次第です。
私たちが入学のころ身体検査の中でM検という検査がありました。今でも行われているのでしょうか。相撲の新弟子検査のような格好の中で校医の久野(?)先生が手のひらでMを持ち上げて検査するのです。その時会場で ”何しやはりまんねん!“と叫ぶ声が聞こえました。その声の主はずっと飛田喜八郎君だと言われていました。ところが去年の会の席上、あの言葉を言ったのは私ではありません。私は京都出身ですからあの言葉は使いませんと60年来の冤罪を告発する発言をしたのです。皆本当にびっくりしました。60年以上もの間信じ込んでいた歴史的事柄がひっくり返ったのですから。しかしながらあの言葉だけは確かに聞いたという人もおり、では誰だったのかと言うと又、霧のかなたに隠れてしまいました。昭和33年と言えばまだ日本は貧しくて食生活も豊かではありませんでしたがそれでも寮の生徒食の質素さには驚きました。朝食のアルミの椀に沢庵二切れと何か副菜はあったでしょうか。広く少しうす暗い厨房にどんと据えられた竈(かまど)にふた抱えもあろうかと思われる鉄鍋から姉さんかぶりをした小柄なおばあさんが畑の肥溜めに使うような大きな柄杓(ひしゃく)で鼻をすすりながら ”あんたらなあ、わるいことしたらあかんでえ“ などと言いながらバケツにどぼどぼと入れてくれたみそ汁は関東から行った人間には異様に色が濃く、濃い味とともに馴染むのに時間がかかりました。しかしあのおばあさんが注いでくれたあのみそ汁と消灯後上級生に連れられてエスケープして真っ暗な砂利道の”焼き飯坂”を超えて行って食べた“トンちゃん”のホルモン焼きの味こそが共通のDNAをもつ腸内細菌を育ててくれた原点だと思うと64年たった今、あの調理場のおばあさん、おばさんそしておたえちゃんと呼ばれていた娘さんたちの顔がしみじみと懐かしく感じられます。年季を経た”木筋つちクリート二階建て“の校舎の廊下は歩けばミシミシときしむ”鴬張り“の様、天井は掌(てのひら)をたたくとビーンと響く”鳴き龍“の様な構造に変化しており今ではさしずめ重要文化財級と言えるような状態でした。寮の廊下は ”タンツー“で磨いていましたね。真冬の朝でも消火用ポンプで廊下に水をまき、ズボンの裾を膝までまくり素足でカウボーイがロープを束ねるように荒縄で作ったタンツーで一斉に掛け声をかけながら腰を落としてこすって行きました。外出の時はその磨き上げた廊下を革靴のまま歩いていましたが足元の廊下の木肌の白さは今も脳裏にはっきりと記憶しています。
入学して暫くたってからの手荒い歓迎行事は”肝試し”でした。
私たちのコースは参宮線を超えた先にある入り江に面した火葬場の窯の中に置いてあるものを持ってくるというものでした。線路の手前の小川にかけられた木の橋を渡る際、下に潜んだ上級生がわっつと叫ぶ大声に跳び上がり、焼き場では真っ暗な中で窯の中を探る手を中に潜んだ上級生にぎゅっと手を引っ張られたり、散々のフルコースでした。
ホームシックに慣れるまでは9時の消灯後に通過する上りの最終列車の汽笛を聞くと無性に家が恋しくなりゴールデンウイークで帰省できる日を千秋の思いで待っていたのを覚えています。
一学期の期末試験が終わると商船学校特有の水泳訓練がありました。観海流という流派の先生がきて長く泳ぎ続けるための日本泳法の指導を受けました。二週間の訓練の後に遠泳があり当時は池ノ浦の対岸にある海からしか行けないと言われた(商船専用の?)浜まで5キロと聞いたコースを志賀教官が先頭の伝馬船で山鹿流の陣太鼓と称して打ち鳴らす石油缶の音に鼓舞されて泳いでゆきました。
波打ち際の深みに生息する夥しい海(う)栗(に)の上に足をつかないよう気を付けて上がって配られた飲み物が無性においしかったことを覚えています。
チリ地震による津波も印象に残ったことです。1960年、62年前ですから二年生だったでしょうか、現在のように情報は迅速に伝わらない時代、何の警報もなく学校の前の海が急激に引いて行きずいぶん沖まで海底が表れたような気がします。
校庭まで1メートル位浸水したと記憶していると言う友人もいます。
もう一つの謎というのは焼き飯坂事件です。峠のようになった焼き飯坂の上を跨ぐように伸びていた松の枝に藁で人形を作り普段着ている白い生徒服を着せてぶら下げておいたところ暗闇の中で見たエスケープ(脱寮)して帰る上級生が腰を抜かさんばかりに驚いたという話です。犯人は同級生の仲間内では斎藤正君と佐藤要君だと囁かれていました。コロナ禍が明けたら集まった席上で真偽を確かめてみたいと思っています。
皆で顔を合わせて昔のことを話せば一瞬にして同じ記憶が蘇ってきます。若いころ気力、体力が横溢していた頃、昔話は前向きでないと敬遠していましたが最近の脳科学では昔のことを思い出す頭脳作業は脳が活性化され老化防止に大いに効果があると解明されたと聞きます。
ここまで毎回20名近くの参加者で続けてこられたのは長く旗を振り続けてくれた坂倉修君とそれを支えてきた簗田秀平君の労によるところが大いなるところです。その坂倉君は2019年、天皇陛下の即位記念パレードを参観してクラス会を開こうとした際、杖を頼りにクラス会に参加した席上、俺はもうだめだから後を頼むよと言いだしました。そして1か月後の12月29日、風のように鬼籍への航海に旅立ってしまいました。通夜の席では参列した級友たちで校歌、寮歌を歌って送りました。
80歳を超えてきて鬼籍に入る人が増えてきました。クラス会を纏めてくれた坂倉君と数名の同級生を偲ぶ機会を持とうという声に後押しされて20年4月新宿御苑で八重桜を観てからクラス会を開こうと企画しましたが直前で緊急事態宣言により開催を断念せざるを得ませんでした。そしてコロナの第5波が一息ついた昨年21年の11月、一人の女性から電話がありました。心覚えのないまま電話に出ると父がクラス会に出席すると言っているが体力が落ちていて心配なので会場まで送りたいという娘さんの申し出でした。同じような年ごろの娘を持つ私はその親を思う心に深く心うたれ、趣味としている手打ちそばを打ちお土産にするとともにくじ引きで参加者にも配った次第です。会場に現れたのは同級生、娘さん、その孫と三代に亙る顔ぶれでした。記念写真に闘病中や病後の友人たちへ励ましの言葉を書いたメッセージと共に入ってもらい集合写真としては初めてみ見る珍しい光景ができました。
私たちの会ではこれからもクラス会を続けたいという機運があります。腸内細菌同士で結ばれた絆を通して交流し互いに励ましを得る機会にして最終コーナーの第三ステージに潤いを添えられるよう旗を振り続けたいと話し合っています。
(この文章は同級生、簗田秀平君との記憶をたどって書きました。曖昧な部分があるかと思いますがご容赦をお願いする次第です)
国立八期生 吉田義郷 記
大西彰夫先輩(S36N)から 母校学生が掲載された新聞記事の提供を頂きましたのでご紹介いたします。
2月22日朝日新聞・三重版 に、母校学生 二組が「選考委員特別賞」を
受賞したとの記事が掲載されました。
開発したのは、
情報機械システム、制御情報工学科の1~5年生 6人が開発した “四季探偵AI−アイー”
同学科の3~5年生6人が開発した “クラウドくんとこよみちゃん”
昨今のコロナウィルスにも負けない学生に、益々の活躍を期待しています。
140周年記念で、船歌集「想い出の鳥羽商船」を発行いたしました。
皆様に馴染みのある4曲をHPで紹介しています。
左下のバナーをクリックして頂きますと案内ページになります。
是非ご視聴ください。
また、ご注文は、以下の通りです。
方法1(前納の場合)
総会案内発送時、会報発送時に同封されている払込書に「DVD希望」と記入し、3千円以上のご寄付を納入ください。
方法2(後納の場合)
MAIL又はFAXにて以下の内容を記入して送信ください。
ご住所に後納の払込書とDVDをお送りいたしますので、3千円以上のご寄付を納入ください。
MAIL:info@tobashousen-dousoukai.com
FAX :0599-25-8128
新年明けましておめでとうございます。
2年にわたるコロナ禍も一向に収束の気配がみえません。
今年中には収まることを切に願っておりますが、皆様方におかれましても体調に充分ご留意のうえ、健康でいい一年を過ごされることを祈念しています。
昨年11月14日約1年半ぶりに対面理事会を名古屋にて開催し、下記の議案3つを審議、承認いただきました。
議案 1―1 140周年記念事業・収支報告と決算報告
議案 1-2 船歌集CD,DVDの取り扱いについて
令和4年1月以降は、同窓会へ3,000円以上の寄付者の内、船歌集を希望する方に1セット謝礼配布。
別途他4商船高専より船歌集制作協賛金を頂き、増刷致しました。
議案 2 明治8年近藤真琴翁商船教育発祥の件
同窓会理事会、母校と協議の結果、4年後の令和7年を創基150周年と定義する。
母校と協議の上、令和7年は同窓会創立100周年にもあたり、創基150周年を
母校と共に祝すと決まりました。
母校は、 本年3月頃 創基150周年事業準備委員会の立ち上げを予定しているとの報告も受けました。
議案 3 その他
1 同窓会の現状と今後の運営について
2 令和4年総会場所について東京開催の予定でしたが鳥羽に変更いたします。
3 母校 商船高専連携協力会設立の協力依頼の件
江崎教官より説明。
運営母体は母校です。
会費は年間3万円で入会金はありません。
全国の高専ではすでに設置されています。
入会特典は技術相談。
共同研究、受託研究、技術者育成支援、就職支援、
セミナーへの参加、学生との交流などです。
同窓の皆様の参加、協力をお願いします。
理事会詳細については本年6月総会資料にてご周知させていただきます。
22年に高専誕生60年
今年の 「第2回全国高等専門学校ディープラーニングコンテスト(高専DCON)」 に、昨年に引き続き母校学生が出場しました。 2位の成績を収めた際の様子が新聞に紹介されています。
コロナ禍でも高専の就職は、企業の中で重要視されている旨の紹介もされています。
エンジニアが必要とされる中、高専卒の強みを生かして頑張ってください。
同窓会は学生の皆様を応援しています。