2013年08月03日(土) 広野藤右衛門
先に「鳥羽の大庄屋かどや」で紹介している広野家は鳥羽商船の前身である私立東海商船学校設立の功績者でした。
母校「百年史」に広野藤右衛門の事が以下の通り書かれています。
幕末から明治初年にかけて、鳥羽屈指の素封家として知られたのが広野藤右衛門信周であった。広野家は鳥羽藩の時代から町医兼薬局を開業し、角屋の屋号で知られた旧家である。藤右衛門は町の事業に協力し、多くの功績を残した人であり、東海商船学校の設立にあたってはもっとも多額の資金援助を行った。明治44年には独力で「広楽園」という自然公園を開設し、鳥羽の名所にして県内外からの観光客を招こうとした。大正10年2月25日、73歳で亡くなっている。