鳥羽商船同窓会ホームページ

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「会員の投稿」ページの投稿方法が2018年10月より変更となりました。

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2025年10月10日(金) 高専入学一期生同窓会開催

3年前、鳥羽で開催された会で次回は最後の会にすると決めた同窓会が、令和7年10月5日に熱海ホテルニューアカオを会場として、昭和42年度入学一期生(入学時は80名、卒業時はN学科25名・E学科26名)22名の元気爺が集まり開催されました。

74歳を超えても元気な爺さんたちが22名も集まり、鬼籍に入られた方々、仕事都合で欠席された方々、そして突然の発熱で欠席された方の思い出話と現況報告で盛り上がった宴会でした。

現況報告では、ほとんどは年金生活者で趣味を楽しむ方々ですが、現役で仕事をする方々もいて痛快でした、特に区長さんの話は興味深いものでした。

宴も酣の中、元気な方々から3年後の77歳喜寿に鳥羽での同窓会開催を提案され
①これを最後にする
②濱地が幹事となり取り仕切る
と決め全員一致で可決された。

その後、一次会をお開きにしてお決まりの二次会カラオケ・三次会の駄弁り部屋と元気な爺さんは年齢も忘れて夜更かしをしていたようです。


少し横道へ:ホテル15階の露天風呂から眺める相模灘・初島・伊豆大島・房総半島・太平洋は、夕暮れ時・朝焼け時ともにほっこりします。また、眼下は海面まで50mほどの絶壁で岩にぶつかる波などで壮観です。

翌日は朝食後、ゴルフ組、観光組、帰宅組と三々五々に分かれての散会でした。

3年後に元気な爺さんたちよ・鳥羽でお会いしましょう。

山本忠志 記

2025年10月07日(火) 鳥羽商船高専5期 古希同窓会

令和7年9月26日に掲題同窓会を鳥羽シーサイドホテルにて開催しました。

2年前の秋に卒業以来47年ぶりの同窓会を開催しましたが、その折に母校創基150周年に合わせ再会しようとの約束でした。

参加者の都合で日にちは、ずれましたが今回の同窓会開催となりました。

入学時110名(うろ覚えですが・・・)、同期卒業は航海科23名・機関科34名、計57名のうち29名参加と同期卒業の半数以上の盛会でした。

2年ぶりに再会した面々、49年ぶりに再会できた面々、全員で近況報告もし、懇親会は大賑わい。

まだほとんどの方は現役なり、アルバイトなりで働いておられるようでした。

海運界大不況の卒業時でしたので、船員への道は狭く、学歴年齢不問の就職先まで紹介されましたが、皆さん様々な陸上企業の先駆者として後に卒業する後輩たちへの門を開かれています。

もちろん二次会・三次会と皆さん大変元気で深夜まで。

3年後の再会を約束し、翌日は三々五々解散となりましたが、各運動クラブや地区での集まりを約束されていたようです。

前回に続き 総幹事 菅原さん、予約及び経理を引き受けていただいた稲益さん、お疲れ様でした。

皆さんお元気で2028年の再会を祈念!

S51N卒 徳田 清司

(上段左から)奥 加塚 池村 中村 高橋 漁野 徳田 坪井 藤本 中村 丸山
(中断)竹内 立田 河本 千道 畑 内藤 光崎(小野寺) 浅井 
(下段)稲益 尾崎 安藤 上村 岩見 菅原 増瀬 小笠原 三輪
林 俊克さん仕事都合で遅延につき集合写真なし

2024年07月26日(金) 端艇部OB会開催

2024/7/13八王子にて、端艇部を発足されたN2古屋さんをお迎えして、OB会を開催しましたので報告致します。

参加者:N2古屋 N5中村、三輪 N9長尾、福田 E10宮川(敬称略)

古屋さんから端艇部を始めるにあたり色々なハ—ドルを乗り越え創部したお話しを伺うことが出来、また夏休み初めの巡航の話等々で大変盛り上がりました。

次回は鳥羽でとオ—ダ—を頂きましたので、東海•近畿のOG,OBもお呼びし企画したいと思いますので、皆様宜しくお願いします。

投稿者:S55N卒 福田憲二

2024年07月16日(火) 傘寿記念クラス会

80期生(昭和35年4月入学&同38年3月卒業)

我々国立80期生は倍率数十倍の難関を突破して昭和35年4月航機共各々30名入学した。その約半数は一浪或いは二浪者であり、今では考えられないほど本校に魅力と憧れを抱いて入学してきた夢多き若者達ばかりであった。当時1年生のみ5月の連休に帰省を許された。それがその後の各々の人生に幸いしたか否か知る由もないが連休が終って寮に戻って来ない者が数人現れた。かく言う私も一浪組で、若し、一浪でなければ寮に戻って来ることはなかったのではと当時を回顧する。それ程思い描いていた寮生活とはかけ離れていた。それが同期の減り始めである。1年から2年、2年から3年に進学するに連れてその数は増してゆき3年卒業時には航海科は15名とかそんな数になってしまった。入学時の半数である。これでは恰好つかないので昭和38年3月に我々と一緒に本科を卒業された79期生の6名の方にも我々80期生のクラス会の仲間として呼びかけを行ってきている。それを良しとして参加して頂いて居る方、そうでない方さまざまであるがそれも又よしである。

さてさて前置きが長くなったが、我々は数は少ないが仲は睦まじい。偶々、専攻科で鳥羽に戻ってきた9月末は『4年たったら又逢いましょう・・・』の東京音頭に街は沸き返っていた。その歌に因んでずっと4年毎のオリンピック開催年に航機が交替に幹事を担当してクラス会を行っている。数えて見れば今回はこれで15回目となる。今回は誰が言い出したか不明だが『これで終りとする』との声が幹事のところに届き、その旨記載した案内状を最新の住所録記載の33名(1名のみ住所不明)に送り、29名より回答を得た。出席との回答は13名。夫婦同伴予定であった清水君の奥さんより期日間近になって医者の許可が下りず欠席との連絡が入る。(清水君は毎回ご夫婦で出席の羨ましいカップル。一日も早いご快癒を祈る)結局出席者は以下の12名。パリ・オリンピック開催月の7月4日15時過ぎより戸田家のロビーに待っていると懐かしい同期が顔を綻ばせながら一人づつ入ってきた。順に戸田家自慢の温泉に浸かって貰って全員が揃うのを待った。

宿泊者   井上信也   岩田 仁  国澤恒彦  小久保又五郎
       田中忠士   藤間 武  原 嘉明  水谷重暉
       本山幹夫   (9名)

宴会のみ  武部二三男  富久田誠二郎  名倉 勝 (3名)

20年前の還暦記念の幹事補佐(幹事は小久保)をしていたのでその記録を紐解くと出席者は31名(先生2名、パートナー4名、故小島の奥さんを含む)となっている。出席者の激減ぶりとその風貌の変化に驚く。掲載の写真でもわかるが3名の真っ白の顎髭はまるで俗界を離れて山中に住む仙人だ。杖を曳く者、神経に障るので真っ直ぐに腰が伸びない者(私)も居る。還暦の際には伊勢にお住まいの79期の山口先輩に豪華な真珠の賞品も準備して貰って翌日に3組も伊勢カンでゴルフを楽しんだ。残念ながら今回のメンバーではひと組すら組めない。

18時全員が揃ったところで宴の開始となった。12名でも宴は宴である。最初はマイクも使わず順序の逆は承知で兎に角互いの健康を祝して『乾杯』となった。一息衝いたところで全員起立して同期の故人(柴原、渡瀬、三橋、浦上、長田、樋口、寺澤、牛場、上田、上野、小島、加藤、川上、田仲、直江、船橋、金子、中井川)を偲び20秒間の黙祷を捧げた。上野さん、長田、牛場は前回のクラス会にも出席していただけに面影も鮮明である。我々同期は最初に亡くなった柴原の時より母校も太平洋もよく見渡せる朝熊山の金剛證寺に卒塔婆を建立して供養してきた。最近になって武部と交代したが卒塔婆建立のお世話を当初から担当してきたのが牛場だった。その牛場の卒塔婆を建てられないのは誠に申し訳ないが卒塔婆供養は宗教的色彩も強く且つお世話をする人も杖を引く身となったので今回より取りやめにするか否かのアンケートを案内状で取ったところ33名のうち、取りやめに21名が賛成、反対者はゼロ、10名無回答、2名返信なしであったことを報告。従って、恒例としていた翌日の朝熊山登頂もクラス会の行事としては行わないこととなった。とするとクラス会の開催地は鳥羽に拘ることはない。次回は機関科担当なので藤間に相談すると直ぐに原(浦和)に連絡を取って呉れて次回幹事の内諾を得ていた。その事を伝えると全員の拍手で以て原の幹事が決まった。それも今までは4年ごとのオリンピックの開催年であったが2年ごとに行う事に決定。開催地は幹事に一任だが今回の幹事として関東で行う事を推奨した。そうすれば今まで遠くて来れなかった関東の面々も参加し易くなるだろう。開催前には今回で最後にすると言っていた数人の者も2年ごとの開催に賛成した。岩田から『クラス会の連絡はスマホかパソコンで連絡網を構築してはどうか』の提案があった。フォローは次回幹事に任せる。これらと各人の近況報告で予定の2時間はあっという間に過ぎ去った。ここで宴会のみ参加の3人は再会を約束して各々戸田家を去った。宿泊組はカラオケルームに移動。カラオケは盛り上がって予定の時間を1時間超過。幹事の私は如何にして部屋に辿り着いたのか全く記憶なく翌日の朝4時半に目覚めた時には天国から再び地上に送り返されたような錯覚を覚えた。会計は井上が買って出て呉れたので助かった。見せて貰うと何と酒量の落ちているのに驚くやら喜ぶやら・・・20年前の還暦と比較すると1人当たりは半分以下である。その分カラオケ代は予算超過ではあったが・・・。

翌5日10時00分戸田家の前で記念写真(別添)を撮り終えた後、マイクロバスで鳥羽駅へ向かう5名を見送る。その後直ぐ本山が伊勢神宮内宮参拝を希望する井上と国澤を乗せて去った。私は一人で学校を訪問して伊賀経由西名阪、湾岸6号で神戸ポーアイに着く。途中松阪では気温38.7度とテレビで報道していた暑い暑い日であった。 

幹事 田中忠士(N80期生)

回想 (拙句)

台風禍残る学び舎入学す      入寮の洗礼受くる自己紹介

一年生に盥回しといふ掟      廊の端目を伏せ歩く一年生

時の日に螺子を巻かるる歌の会   制服の紺より白へ更衣

十五名の寝室に百物語      ヨツト乗る上級生をクルーとし

船虫や商船校の桟橋に       靴で床鳴らし卒業生送る

三年生神と崇めて蒲団干す     高々と帽子を抛り卒業す 

註)<百物語> 
夜、数人が集まって順番に怪談を語り合う遊び。
ろうそくを100本立てておいて、1話終わるごとに1本ずつ消していき、100番目が終わって真っ暗になったとき、化け物が現れるとされたもの。《季 夏》

2024年05月28日(火) 高専4期生(90期)古希同窓会

鳥羽商船同窓生の皆様こんにちは。

私共、昭和50年卒業(45年入学)の高専4期生は去る5月11日15時30分から、名古屋駅隣接のマリオットホテル(51Fジュピター)にて古希同窓会を催しました。

今回の同窓会は約10年前に鳥羽戸田屋での還暦同窓会に尽力してくれた西山明君(今年1月にご逝去)と多度博行君(療養中)が遺憾にも幹事叶わぬ為。

西山君存命中にバトンを受け取った早川和良君を幹事に伊藤文治君と岡田が手助けするという形で約1年前から準備に取りかかりました。

今の時勢ですから紙面での連絡は最初の挨拶および幹事のアドレスを通知するハガキのみとし、早川君得意のスマホやパソコンのメール機能を駆使して連絡網を構築していきました。

この歳になるとそうそう同期が一堂に会する事も無いでしょうから、昭和45年に入学して同じ釜の飯を食い、共に泣いて笑った者全て、スコった者、中途退学して変針した者構わずに参加の機会を持ってもらおうとのポリシーで可能な限りの者に連絡をしました。

大阪の青木順君、変針組の連絡に懸命に奔走してくれました。感謝します。

おかげさまで航機合わせて38名の参加を得ました。

会は14名の物故者を紹介し、黙祷を捧げて始まりました。

会場には連絡のとれた海外在住者、松田明彦君(ニュージャージー州で自営)、郡司恵君(フィジーでJYCA、海事大学の機関科教官)、田村晴男君(マレーシアで自適悠々)諸氏が寄せてくれた現況報告やコメントをパネル紹介。

また、療養中で出席できなかった多度君、矢口君には皆からの寄せ書き用メッセージカードを用意しました。

名古屋屈指のホテルお勧めのフランス料理を堪能、飲み、語り合いました。

時々誰かがマイクで自身の近況等を報告すれば、カラオケも音楽も必要なし。

ワイワイと会話だけであっという間の2時間半でした。

締めは尾張名古屋らしくエイエイオーの勝ち鬨で。

二次会は近くの居酒屋(すしつま)にて22名の参加、これまた種々の日本酒を頂き50余年の時空を超えて、すっかり学生時代に戻り、気付けば過ぎる事2時間。

最後は前原武人君の一本締め、彼は高2から入学した最年長者で今尚、関門の現役水先人として活躍中、まさしく至誠一貫の船乗りです。

「また合おう元気で」の声を掛け合いながら店を出て、各々、駅へ、ねぐらへ、はたまた三次会か名古屋夜の巷に散りました。

後日談ですが、同窓会の5日後5月16日に療養中であった矢口君がお亡くなりになりました。

残念ながら我々のメッセージカードは彼存命中に届ける事ができず、告別の棺に入れて頂きました。矢口君よ天国で「しょうがねぇなぁ」と笑って許してくれ。

この件につき、矢口君と前川製作所で同僚だった2期生の神子功さん、5期生の高橋繁さんに大変お世話になりました。

各位の固い絆に感じ入りました。やはり鳥羽商船で良かった。

この度の同期会開催につき伊勢志摩支部長三井様並びに関係の皆様には、至らぬ私共に一方ならぬご助力を頂きました。末筆ながらお礼申し上げます。

                                        令和6年5月25日  S50E 岡田清実 記