鳥羽商船同窓生の皆様こんにちは。
私共、昭和50年卒業(45年入学)の高専4期生は去る5月11日15時30分から、名古屋駅隣接のマリオットホテル(51Fジュピター)にて古希同窓会を催しました。
今回の同窓会は約10年前に鳥羽戸田屋での還暦同窓会に尽力してくれた西山明君(今年1月にご逝去)と多度博行君(療養中)が遺憾にも幹事叶わぬ為。
西山君存命中にバトンを受け取った早川和良君を幹事に伊藤文治君と岡田が手助けするという形で約1年前から準備に取りかかりました。
今の時勢ですから紙面での連絡は最初の挨拶および幹事のアドレスを通知するハガキのみとし、早川君得意のスマホやパソコンのメール機能を駆使して連絡網を構築していきました。
この歳になるとそうそう同期が一堂に会する事も無いでしょうから、昭和45年に入学して同じ釜の飯を食い、共に泣いて笑った者全て、スコった者、中途退学して変針した者構わずに参加の機会を持ってもらおうとのポリシーで可能な限りの者に連絡をしました。
大阪の青木順君、変針組の連絡に懸命に奔走してくれました。感謝します。
おかげさまで航機合わせて38名の参加を得ました。
会は14名の物故者を紹介し、黙祷を捧げて始まりました。
会場には連絡のとれた海外在住者、松田明彦君(ニュージャージー州で自営)、郡司恵君(フィジーでJYCA、海事大学の機関科教官)、田村晴男君(マレーシアで自適悠々)諸氏が寄せてくれた現況報告やコメントをパネル紹介。
また、療養中で出席できなかった多度君、矢口君には皆からの寄せ書き用メッセージカードを用意しました。
名古屋屈指のホテルお勧めのフランス料理を堪能、飲み、語り合いました。
時々誰かがマイクで自身の近況等を報告すれば、カラオケも音楽も必要なし。
ワイワイと会話だけであっという間の2時間半でした。
締めは尾張名古屋らしくエイエイオーの勝ち鬨で。
二次会は近くの居酒屋(すしつま)にて22名の参加、これまた種々の日本酒を頂き50余年の時空を超えて、すっかり学生時代に戻り、気付けば過ぎる事2時間。
最後は前原武人君の一本締め、彼は高2から入学した最年長者で今尚、関門の現役水先人として活躍中、まさしく至誠一貫の船乗りです。
「また合おう元気で」の声を掛け合いながら店を出て、各々、駅へ、ねぐらへ、はたまた三次会か名古屋夜の巷に散りました。
後日談ですが、同窓会の5日後5月16日に療養中であった矢口君がお亡くなりになりました。
残念ながら我々のメッセージカードは彼存命中に届ける事ができず、告別の棺に入れて頂きました。矢口君よ天国で「しょうがねぇなぁ」と笑って許してくれ。
この件につき、矢口君と前川製作所で同僚だった2期生の神子功さん、5期生の高橋繁さんに大変お世話になりました。
各位の固い絆に感じ入りました。やはり鳥羽商船で良かった。
この度の同期会開催につき伊勢志摩支部長三井様並びに関係の皆様には、至らぬ私共に一方ならぬご助力を頂きました。末筆ながらお礼申し上げます。
令和6年5月25日 S50E 岡田清実 記