更新:2012年05月09日(水)
■ 平成27年度同窓会役員名簿
2015年役員からご確認ください。
会員数の推移
2014年会員数からご確認ください。(会員数.pdf)
■ 記念会館の宿泊利用について
■ 同窓会のあゆみ
西暦
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和暦
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概要
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1863年 | 文久3年 | 校祖 近藤真琴が江戸四ッ谷坂町鳥羽藩邸内に蘭学塾を開く |
1869年 | 明治2年 | 海軍操練所内に塾を移す。塾名を「攻玉塾」(後の攻玉社)とする。 蘭学・数学・測量・航海術等を教授する。(海軍操練所予科となる) |
1875年 | 明治8年9月 | 近藤真琴、現東京都港区浜松町に航海測量習練所を開設 |
1875年 | 明治8年11月 | 三菱会社が私立三菱商船学校(後の東京商船大学)開設 |
1881年 | 明治14年8月 | 近藤真琴、三重県鳥羽に商船黌分校を開校。生徒数18名。 |
1886年 | 明治19年9月 | 近藤真琴翁死去。2代校長に近藤基樹が就任。 |
1893年 | 明治26年3月 | 鳥羽商船黌 廃校 |
1895年 | 明治28年10月 | 海軍少将山内万寿治が3代校長。東海商船学校として復興。24名入学。 |
1896年 | 明治29年 | 船舶職員法により甲種商船学校航海科卒業生が甲種二等運転士免状の受験資 格を得る為には一定期間、西欧型横帆装置の帆船で実習する事が必須条件。 |
1897年 | 明治30年6月 | 逓信大臣認可。 |
1899年 | 明治32年 | 鳥羽町立鳥羽商船学校となる。機関科設置。航海科27名、機関科10名入学。 修業年限は席上課程3年、実習3年(機関科は3年6月) |
1899年 | 明治32年 | 4代校長に角利助が就任。 |
1906年 | 明治39年 | 5代校長に鶴田丘一が就任。 |
1911年 | 明治44年 | 三重県立鳥羽商船学校となる。 生徒全体の定員を150名(実習生・予科を除く)とする。 |
1913年 | 大正2年 | 6代校長に正戸為三郎が就任。 |
1917年 | 大正6年 | 鳥羽商船練習帆船「あまき」(三檣バーク型300総トン補助機関付き)竣工。民間 会社と提携し、横浜~マーシャル群島ヤルート間(椰子の実・コプラ等を輸送)を 航海する。また学校の生徒全体定員数が220名になる。 |
1918年 | 大正7年 | 7代校長に北村鑅三郎が就任。 |
1919年 | 大正13年 | 8代校長に金岡孫三が就任。 |
1925年 | 大正14年 | 鳥羽商船同窓会結成、神戸市中山手に「鳥羽商船倶楽部」が設立される。 |
1925年 | 大正14年 | 小西恒蔵 同窓会会長となる。 |
1927年 | 昭和2年 | 9代校長に矢野馬吉が就任。 |
1930年 | 昭和5年 | 航海練習所官制公布、 函館、富山、鳥羽、児島、島根、粟島、弓削、広島、 大島、佐賀、鹿児島計11校の出身者が悲願であった大型帆船練習船の建造を 政府及び国会に陳情した結果、建造された日本丸・海王丸を文部省航海練習所 所属とし、地方公立商船学校の練習船とする。 十一会(現 全船協)発足。 |
1932年 | 昭和7年 | 加藤秋蔵 同窓会会長となる。 |
1933年 | 昭和8年 | 鳥羽本町大火に本校生徒が出動、消火に従事。 |
1936年 | 昭和11年 | 入学定員 航海科15名、機関科15名 |
1937年 | 昭和12年 | 入学定員を50名に増加 |
1939年 | 昭和14年 | 官立鳥羽商船学校(文部省所轄)となる。入学定員航海科30名、機関科30名。 修業年限は席上課程3年、練習課程3年。 全寮制となる。 |
1939年 | 昭和14年 | 西山国三 同窓会会長となる。 |
1939年 | 昭和14年 | 10代校長に富岡外雄が就任。 |
1941年 | 昭和16年 | 入学定員航海科40名、機関科40名。 |
1942年 | 昭和17年 | 逓信省所管となる。 入学定員航海科80名、機関科80名に対し、志願者870名。競争率5.4倍。 |
1943年 | 昭和18年 | 運輸通信省所管となる。 |
1944年 | 昭和19年 | 入学定員160名に対し志願者2088名。競争率13.1倍を記録。 |
1945年 | 昭和20年 | 運輸省所管となる |
1945年 | 昭和20年 | 11代校長に大脇泰次が就任。 |
1945年 | 昭和20年 | 第二次世界大戦終結(鳥羽商船卒業戦没者206名+不明者31名) |
1945年 | 昭和20年 | 10月運輸省通牒により全商船教育機関を縮小。 鳥羽商船では200余名が転退学。 |
1946年 | 昭和21年 | 入学定員 航海科25名、機関科25名 |
1951年 | 昭和26年 | 文部省所轄 鳥羽商船高等学校となる。定員航海科30名、機関科30名。 修業年限は本科3年、専攻科2年(席上6ヶ月以上、実習1年4月以上) |
1951年 | 昭和26年 | S18N小原氏ら8名により同窓会大阪支部を発足。会の名称を「錦浦会」とする。 |
1951年 | 昭和26年 | 神足徳三郎 同窓会会長となる。 |
1951年 | 昭和26年 | 創立70周年記念式典挙行。 |
1955年 | 昭和30年 | 入学定員60名に対し志願者810名。競争率13.5倍を記録。 |
1959年 | 昭和34年 | 第1回同窓会名簿発行 |
1960年 | 昭和35年 | 初代鳥羽丸 56t 竣工 |
1961年 | 昭和36年 | 12代校長に村野謙二が就任。 |
1963年 | 昭和38年 | 高橋武衛門 同窓会会長となる。 |
1963年 | 昭和38年 | 同窓会報創刊号が発行される。 |
1963年 | 昭和38年 | S38N20名 卒業時甲種船長筆記試験全員合格の快挙 |
1967年 | 昭和42年 | 練習船「あさま」(鋼船18トン)建造。 |
1967年 | 昭和42年 | 国立鳥羽商船高等専門学校となる。入学定員 航海科40名、機関科40名。 修業年限は席上課程4年6月、実習課程1年。 |
1967年 | 昭和42年 | 13代校長に小谷信市が就任。 |
1969年 | 昭和44年 | 入学定員 航海科40名、機関科80名となる。 |
1969年 | 昭和44年 | 西島好雄 同窓会会長となる。 |
1970年 | 昭和45年 | 2代目 鳥羽丸 325t 竣工 |
1971年 | 昭和46年 | 14代(高専2代)校長に谷川英一が就任。 |
1972年 | 昭和47年 | 高専第一回卒業式挙行。 |
1979年 | 昭和54年 | 15代(高専3代)校長に山門豊文が就任。 |
1981年 | 昭和56年 | 鳥羽商船創基100周年記念事業開催 |
1982年 | 昭和57年 | 百周年記念資料館落成。 |
1984年 | 昭和59年 | 16代(高専4代)校長に矢島澄夫が就任。 |
1985年 | 昭和60年 | 和田春生 同窓会会長となる。 |
1985年 | 昭和60年 | 入学定員 航海科40名、機関科40名、電子工学科40名 に改組。 女子の入学を許可。 |
1986年 | 昭和61年 | 商船教育創始110周年を記念する会を挙行、郵政省より同記念切手発行。 |
1988年 | 昭和63年 | 商船学科、電子機械工学科、制御情報工学科の3学科各40名合計120名。 |
1989年 | 平成1年 | 17代(高専5代)校長に手塚俊一が就任。 |
1990年 | 平成2年 | 電子機械工学科第一回卒業式挙行。 |
1990年 | 平成2年 | 全寮制廃止、1・2年生のみ全寮制となる。 |
1993年 | 平成5年 | 制御情報工学科第一回卒業式挙行。 |
1993年 | 平成5年 | 落合弘明 同窓会会長となる。 |
1994年 | 平成6年 | 1・2年生全寮制廃止、商船学科1・2年生のみ全寮制となる。 |
1994年 | 平成6年 | 3代目 鳥羽丸 244t 竣工 |
1996年 | 平成8年 | 18代(高専6代)校長に飯島幸人が就任。 |
1999年 | 平成11年 | 元同窓会会長・元衆・参議員/元全船協会長/S11N 和田春生先生 ご逝去 |
2000年 | 平成12年 | 19代(高専7代)校長に佐藤修臣が就任。 |
2001年 | 平成13年 | 創基120周年記念式典を挙行。 |
2003年 | 平成15年 | 神戸商船大学が神戸大学海事科学部に、また東京商船大学が東京海洋大学 海洋工学部となり、共に商船の大看板をはずす。 |
2004年 | 平成16年 | 独立行政法人国立高等専門学校機構鳥羽商船高等専門学校となる。 |
2005年 | 平成17年 | 20代(高専8代)校長に山田猛敏が就任。 |
2005年 | 平成17年 | 専攻科設置(海事システム学専攻4名、生産システム工学専攻8名) |
2005年 | 平成17年 | 同窓会創立80周年記念総会を母校で開催。 |
2006年 | 平成18年 | 商船学科1・2年生の全寮制を廃止、任意寮となる。 |
2007年 | 平成19年 | 辻裕 同窓会会長となる。 |
2007年 | 平成19年 | 専攻科、生産システム工学、海事システム学第一回修了証書授与式挙行。 |
2008年 | 平成20年 | 同窓会ホームペイジ開設。 |
2009年 | 平成21年 | 商船教育創始者展開催 |
2009年 | 平成21年 | 故郷の海を愛する会創設、活動開始。 |
2010年 | 平成22年 | 21代校長に東京海洋大学名誉教授 藤田稔彦就任。 |
2011年 | 平成23年 | 辻裕同窓会長逝去。 |
2012年 | 平成24年 | 菱田司 同窓会会長となる。 |
2014年 | 平成26年 | 菱田会長病気療養のため、田中副会長が会長代行に就く。 |
2015年 | 平成27年 | 田中 三郎 同窓会会長となる。 |