鳥羽商船同窓会ホームページ

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2024年11月05日(火) 西日本支部総会 開催

西日本支部の皆さん、季節は10月になっても夏日が続く日がありましたが、11月になって、やっと朝夕に、涼しさを感じるようになりました。いかがお過ごしでしょうか。

去る10月27日(土)に恒例の西日本支部総会を開催しました。
参加者は、福岡さん、佐野さん、太田さん、片岡さん(4名共S33.N卒)、大倉さん(S48.N卒)、久米さん(S48.E卒)、江尻さん夫妻(S48.E卒)、前原さん(S50.N卒)、河本さん(S51.N卒)、吉田さん夫妻(S55.E卒)、西山さん(R5.I卒)、神子(S48.E卒)の14名に加えて、菅沼会長代理の加塚副会長(S52.E)の15名で行いました。場所は例年通り海峡ビューホテル下関です。前日まで参加予定でありました山下さん(S41.E)は入院の為、又中野支部長(S41.N)もドクターストップがかかり欠席となりました。当日は台風の影響による天候が心配でしたが、雨も降らず秋晴れの良い天気となりました。16時頃にホテルに着くと先輩方始め、殆どの方が集合されロビーで歓談されていました。皆さんに18時からの総会の説明をして、それまで海峡大橋を見ながら部屋や湯舟で寛いでもらいました。

18時から宴会場にて、加塚副会長から本部総会の話(学校創基150年、同窓会設立100年、新鳥羽丸竣工の3慶事)をしていただき、特に来年の9月に開催される創基150年式典について話されました。又、加塚副会長は同窓会設立100周年記念誌編集の責任者として尽力されています。その後宴会に移り、乾杯をお願いした元支部長の福岡さんから、創基150年(明治8年9月)とし全国で最古の商船学校にした菅沼会長の熱意に先輩として敬意を表したいと話されました。初参加の前原さんは、奈良県出身でMO入社後パイロットになられて、関門パイロット協会に勤務され今年3月に廃業され、やっと参加の機会をえられたこと、又昨年逝去された柴田さん(S56.E卒)に会いたかったことを話されました。又、もう1名の初参加の吉田さん(S55.E卒)は本校卒業後、長岡技術大学を経て、広島商船の講師となり教師としてスタートされました。当時母校にも相談したそうですが、定員一杯で断られたそうです。その後、広島大学で博士号を取得し、教授となられました。副校長を最後に昨年4月定年退官され、1年間の充電期間を経て今年4月から、広島商船の要請を受けて週3回教壇に復帰されたそうです。在任中から同窓会へのお誘いをしていましたが時間がとれず、今年やっと参加してもらい幹事として嬉しい限りです。私の同期の久米さんも初参加です。彼は愛知県岡崎から来てくれました。卒業後、山下新日本汽船に入社後、ナビックスライン等を経て、日本郵船に移籍され、定年まで船乗り一筋でした。同期では貴重な存在です。定年後は郵船の関連会社のボルテックを経て、現在は日本船舶職員養成協会で、免許更新等の講習の指導をされているそうです。最後の初参加は、紅一点で昨年3月I科を卒業され(株)前川製作所に入社された私の同僚の西山さんです。彼女は我々高専2期生の同期入学の中井君のお孫さんで、縁あって母校で知り合いになり入社してくれました。このような自己紹介を経て、あっという間に時間が過ぎ、最後に校歌、寮歌、練習船歌を全員で歌い閉会しました。21時からは、これも恒例の幹事の部屋において2次会を始め、大先輩の太田さん、片岡さんの楽しい駄弁りを聞き、23時に散会となりました。翌朝朝食後8時半頃ロビーに集合して、来年も多くの初参加者が参加されることを願い、健康に留意して元気に再会しましょうと約束し解散しました。       

      令和6年11月5日 記:神子

2024年10月11日(金) アサギマダラを呼ぶプロジェクト

毎年、伊勢志摩支部が故郷の海を愛する会と共同で鳥羽にアサギマダラを呼ぶプロジェクトを行っています。昨年のフジバカマの苗を株分けし、アサギマダラ蝶が休める場所を各地に設置しています。

昨年は苗の発育が思うようにいかず飛来した蝶は少なかったのですが、今年は同窓会事務局前にもたくさん設置できました。三井伊勢志摩支部長と高木理事がプランターを軽トラックで運んで設置してくれました。

今年は同窓の小松さんが制作した新しい看板も出来上がり、沢山の方々に見に来ていただけるのを楽しみにしています。

早速一羽の蝶々が飛来し、アサギマダラを見られる日は遠くないかと思います。

数年前に金毘羅山にも植えられており、今年も元気に咲いていました。

2024年10月01日(火) 求人:四日市港管理組合職員(機関士)の募集について

四日市港管理組合では、令和7年4月1日採用予定の令和6年度四日市港管理組合職員採用試験を次のとおり実施しますので、お知らせします。

1 募集職種及び採用予定数

技術職(機関士) 約1名

2 受験資格

〇技術職(機関士)

年齢 平成2年4月2日から平成17年4月1日までに生まれた人

資格 3級海技士(機関)以上の免許(機関当直限定免許を除く)を取得している人又は令和7年3月31日までに取得見込みである人

3 試験日及び試験会場

試験日  令和6年12月1日(日)

試験会場 四日市港ポートビル2階(四日市市霞2丁目1番地1)

4 試験の方法

〇技術職(機関士)

教養試験、作文試験、人物試験及び適性検査

5 受験手続

申込方法  以下の必要書類を四日市港管理組合 経営企画部総務課(四日市港ポートビル9階)あて簡易書留郵便で送付してください。

〇技術職(機関士)

「受験申込書」、「海技免状の写し(免許を有する人のみ)」、「面接カード」

受付期間 令和6年10月1日(火)から11月13日(水)まで(午後5時必着)

6 採用

この試験の合格者の採用は、原則として令和7年4月1日です。

7 給与、勤務時間及び休暇

(1)この試験に合格し、採用された場合には、「四日市港管理組合職員の給与に関する条例」等の規定による給料及び諸手当が支給されます。

(2)勤務時間は午前8時30分から午後5時15分までの7時間45分(月曜日から金曜日まで)です。

(3)年次有給休暇は、1年につき20日(採用年は、4月1日の採用の場合15日)あり、このほか特別休暇等があります。

8 その他

受験案内及び提出書類のダウンロード並びに試験についての案内は、以下のホームページをご確認ください。

職員採用情報HP  職員採用試験実施案内

2024年07月26日(金) 端艇部OB会開催

2024/7/13八王子にて、端艇部を発足されたN2古屋さんをお迎えして、OB会を開催しましたので報告致します。

参加者:N2古屋 N5中村、三輪 N9長尾、福田 E10宮川(敬称略)

古屋さんから端艇部を始めるにあたり色々なハ—ドルを乗り越え創部したお話しを伺うことが出来、また夏休み初めの巡航の話等々で大変盛り上がりました。

次回は鳥羽でとオ—ダ—を頂きましたので、東海•近畿のOG,OBもお呼びし企画したいと思いますので、皆様宜しくお願いします。

投稿者:S55N卒 福田憲二

2024年07月16日(火) 傘寿記念クラス会

80期生(昭和35年4月入学&同38年3月卒業)

我々国立80期生は倍率数十倍の難関を突破して昭和35年4月航機共各々30名入学した。その約半数は一浪或いは二浪者であり、今では考えられないほど本校に魅力と憧れを抱いて入学してきた夢多き若者達ばかりであった。当時1年生のみ5月の連休に帰省を許された。それがその後の各々の人生に幸いしたか否か知る由もないが連休が終って寮に戻って来ない者が数人現れた。かく言う私も一浪組で、若し、一浪でなければ寮に戻って来ることはなかったのではと当時を回顧する。それ程思い描いていた寮生活とはかけ離れていた。それが同期の減り始めである。1年から2年、2年から3年に進学するに連れてその数は増してゆき3年卒業時には航海科は15名とかそんな数になってしまった。入学時の半数である。これでは恰好つかないので昭和38年3月に我々と一緒に本科を卒業された79期生の6名の方にも我々80期生のクラス会の仲間として呼びかけを行ってきている。それを良しとして参加して頂いて居る方、そうでない方さまざまであるがそれも又よしである。

さてさて前置きが長くなったが、我々は数は少ないが仲は睦まじい。偶々、専攻科で鳥羽に戻ってきた9月末は『4年たったら又逢いましょう・・・』の東京音頭に街は沸き返っていた。その歌に因んでずっと4年毎のオリンピック開催年に航機が交替に幹事を担当してクラス会を行っている。数えて見れば今回はこれで15回目となる。今回は誰が言い出したか不明だが『これで終りとする』との声が幹事のところに届き、その旨記載した案内状を最新の住所録記載の33名(1名のみ住所不明)に送り、29名より回答を得た。出席との回答は13名。夫婦同伴予定であった清水君の奥さんより期日間近になって医者の許可が下りず欠席との連絡が入る。(清水君は毎回ご夫婦で出席の羨ましいカップル。一日も早いご快癒を祈る)結局出席者は以下の12名。パリ・オリンピック開催月の7月4日15時過ぎより戸田家のロビーに待っていると懐かしい同期が顔を綻ばせながら一人づつ入ってきた。順に戸田家自慢の温泉に浸かって貰って全員が揃うのを待った。

宿泊者   井上信也   岩田 仁  国澤恒彦  小久保又五郎
       田中忠士   藤間 武  原 嘉明  水谷重暉
       本山幹夫   (9名)

宴会のみ  武部二三男  富久田誠二郎  名倉 勝 (3名)

20年前の還暦記念の幹事補佐(幹事は小久保)をしていたのでその記録を紐解くと出席者は31名(先生2名、パートナー4名、故小島の奥さんを含む)となっている。出席者の激減ぶりとその風貌の変化に驚く。掲載の写真でもわかるが3名の真っ白の顎髭はまるで俗界を離れて山中に住む仙人だ。杖を曳く者、神経に障るので真っ直ぐに腰が伸びない者(私)も居る。還暦の際には伊勢にお住まいの79期の山口先輩に豪華な真珠の賞品も準備して貰って翌日に3組も伊勢カンでゴルフを楽しんだ。残念ながら今回のメンバーではひと組すら組めない。

18時全員が揃ったところで宴の開始となった。12名でも宴は宴である。最初はマイクも使わず順序の逆は承知で兎に角互いの健康を祝して『乾杯』となった。一息衝いたところで全員起立して同期の故人(柴原、渡瀬、三橋、浦上、長田、樋口、寺澤、牛場、上田、上野、小島、加藤、川上、田仲、直江、船橋、金子、中井川)を偲び20秒間の黙祷を捧げた。上野さん、長田、牛場は前回のクラス会にも出席していただけに面影も鮮明である。我々同期は最初に亡くなった柴原の時より母校も太平洋もよく見渡せる朝熊山の金剛證寺に卒塔婆を建立して供養してきた。最近になって武部と交代したが卒塔婆建立のお世話を当初から担当してきたのが牛場だった。その牛場の卒塔婆を建てられないのは誠に申し訳ないが卒塔婆供養は宗教的色彩も強く且つお世話をする人も杖を引く身となったので今回より取りやめにするか否かのアンケートを案内状で取ったところ33名のうち、取りやめに21名が賛成、反対者はゼロ、10名無回答、2名返信なしであったことを報告。従って、恒例としていた翌日の朝熊山登頂もクラス会の行事としては行わないこととなった。とするとクラス会の開催地は鳥羽に拘ることはない。次回は機関科担当なので藤間に相談すると直ぐに原(浦和)に連絡を取って呉れて次回幹事の内諾を得ていた。その事を伝えると全員の拍手で以て原の幹事が決まった。それも今までは4年ごとのオリンピックの開催年であったが2年ごとに行う事に決定。開催地は幹事に一任だが今回の幹事として関東で行う事を推奨した。そうすれば今まで遠くて来れなかった関東の面々も参加し易くなるだろう。開催前には今回で最後にすると言っていた数人の者も2年ごとの開催に賛成した。岩田から『クラス会の連絡はスマホかパソコンで連絡網を構築してはどうか』の提案があった。フォローは次回幹事に任せる。これらと各人の近況報告で予定の2時間はあっという間に過ぎ去った。ここで宴会のみ参加の3人は再会を約束して各々戸田家を去った。宿泊組はカラオケルームに移動。カラオケは盛り上がって予定の時間を1時間超過。幹事の私は如何にして部屋に辿り着いたのか全く記憶なく翌日の朝4時半に目覚めた時には天国から再び地上に送り返されたような錯覚を覚えた。会計は井上が買って出て呉れたので助かった。見せて貰うと何と酒量の落ちているのに驚くやら喜ぶやら・・・20年前の還暦と比較すると1人当たりは半分以下である。その分カラオケ代は予算超過ではあったが・・・。

翌5日10時00分戸田家の前で記念写真(別添)を撮り終えた後、マイクロバスで鳥羽駅へ向かう5名を見送る。その後直ぐ本山が伊勢神宮内宮参拝を希望する井上と国澤を乗せて去った。私は一人で学校を訪問して伊賀経由西名阪、湾岸6号で神戸ポーアイに着く。途中松阪では気温38.7度とテレビで報道していた暑い暑い日であった。 

幹事 田中忠士(N80期生)

回想 (拙句)

台風禍残る学び舎入学す      入寮の洗礼受くる自己紹介

一年生に盥回しといふ掟      廊の端目を伏せ歩く一年生

時の日に螺子を巻かるる歌の会   制服の紺より白へ更衣

十五名の寝室に百物語      ヨツト乗る上級生をクルーとし

船虫や商船校の桟橋に       靴で床鳴らし卒業生送る

三年生神と崇めて蒲団干す     高々と帽子を抛り卒業す 

註)<百物語> 
夜、数人が集まって順番に怪談を語り合う遊び。
ろうそくを100本立てておいて、1話終わるごとに1本ずつ消していき、100番目が終わって真っ暗になったとき、化け物が現れるとされたもの。《季 夏》