鳥羽商船同窓会ホームページ

〒517-8501 三重県鳥羽市池上町1-1 鳥羽商船高等専門学校内事務局

2022年06月28日(火) 鳥羽商船同窓会 理事会・総会・懇親会 3年ぶりに開催

6月12日(日)快晴の元、母校にて3年ぶりに開催しました。

長引くコロナ禍ではありましたが、With Coronaの中、感染予防に注意しながら開催しました。

各会の出席数は、理事会25名、総会54名、懇親会61名で、計63名の同窓の皆様に参加していただきました。

総会の承認と決議事項については、秋の同窓会報において皆様に周知させていただきます。

懇親会の来賓には、鳥羽市選出の野村県議、伊勢市選出の同窓でもある廣県議、鳥羽市小竹教育長、母校からは和泉校長、伊藤副校長、坂牧副校長、小林事務部長、窪田学科長、鈴木主任、同窓の母校教職員からは齊心(H1N)、出江(H3M)、江崎(H4M)、山野(H10E)、小島(H14N)、中井(H16I)、山口(H20M)の皆様。学生会、寮生会から8名の若い後輩に参加していただきました。

校長から、3年後の母校創基150周年に同窓会からの多額の寄付の謝礼と、令和7年に新練習船の就航も予定されており、同窓会創立100周年の式典と共に催したいとのお話がありました。

懇親会のアトラクションは、140周年記念船歌集『想い出の鳥羽商船』の作成に協力戴いた笠井幹夫さん主宰の伊勢音楽劇場の皆様に懐かしい歌声を披露して頂きました。船歌・校歌等 DVDに写された写真と歌詞を見ながら郷愁に浸り、きれいな歌声を充分堪能し、感動のひと時を終えました。

最後は来年開催地、東日本支部、水野支部長の万歳三唱で締めくくりました。

2022年06月17日(金) 求人:四日市港管理組合

職  務 技術職(航海士)

資格

経験など

昭和63年4月2日から平成15年4月1日までに生まれた人 3級海技士(航海)以上の免許(船橋当直限定免許を除く)を取得している人又は令和5年3月31日までに取得見込みである人

勤務地

勤務時間

職員のほとんどが四日市港ポートビル(霞ヶ浦地区)にて勤務しています。本庁舎以外には、千歳事務所(四日市地区)があります。
給  与


<初 任 給(海事職)> (大学卒)約 212,000 円 (短大卒)約 195,000 円(金額は地域手当(10%)を含みます) ※卒業後の経歴によって、一定の基準により加算されることがあります。
<ボーナス> 年間 4.30 月分
<諸 手 当> 家庭状況や勤務形態などにより、扶養手当、住居手当、通勤手当、時間外勤務手当などが支給されます。

待  遇

○勤務条件
<勤務時間> 午前8時 30 分から午後5時 15 分まで(休憩時間 60 分)
<休 日> 土曜、日曜、祝日、年末年始(12 月 29 日から1月3日まで)
<休 暇> 年次有給休暇 20 日(採用年は、4月1日の採用の場合 15 日) 夏季休暇、結婚休暇、ボランティア休暇、家族看護休暇、介護休暇など

○福利厚生
<健康管理> 毎年定期健康診断を行うほか、健康に関する研修を実施しています。
<互 助 会> 職員の健康増進と親睦を目的とした野球、サッカー、テニス、卓球、バドミントンや囲碁・将棋など各種大会に参加できます。(三重県職員互助会主催)
<保養施設> 地方職員共済組合の宿泊施設(相互利用を含む)が全国各地にあり、職員や共済組合で認定された扶養家族が組合員料金で利用できます。

応募要領 電話若しくは四日市港管理組合HPにてご連絡ください。
募集人員 1名
募集期限  令和4年6月 10 日(金)から7月 13 日(水)まで
その他

<試験日程> 令和4年7月 31 日(日)

<合格発表> 令和4年8月 17 日(水)(予定)

<採 用> 原則として令和5年4月1日

会社名 住 所 四日市港管理組合 三重県四日市市霞二丁目1-1 四日市港ポートビル内
会社事業内容 特別地方公共団体
会社連絡先 四日市港管理組合 経営企画部 総務課 総務担当 酒井・若浪 〒510-0011 四日市市霞2丁目1番地1(四日市港ポートビル9階) TEL 059-366-7007 メール kanri@yokkaichi-port.or.jp
会社ホームページ  http://www.yokkaichi-port.or.jp/

2022年05月27日(金) 求人:旭運輸株式会社

求人要綱は以下の通りです。

・職務: 

 自動車専用船のフォアマン、

 コンテナターミナルのプランナー業務

 本人の希望に応じて物流倉庫における倉庫職員

 輸出入貨物の集荷営業、通関業務などの業務を担当

・資格、経験:

 物流関係の業務に関心のある方

・勤務地、勤務時間:

 勤務地 本社および名古屋港周辺、東京、海外(在宅勤務制度有り)

 勤務時間 08:30〜17:00(フレックスタイム制度、時差出勤制度有り)

・給与 

 資格・経験により決定

・待遇 

 総合職

・応募要領 

 メール若しくは電話にてお申し込みください。

・募集人員 

 若干名

・募集期限 

 無期限(採用者獲得まで)

・その他   

 日本郵船株式会社のグループ会社として、名古屋港をベースに港湾運送

 事業、倉庫業、通関業などの総合物流サービスを提供する企業です。

・会社名、住所 

 旭運輸株式会社

 愛知県名古屋市港区入船2−4−6 名港ビル

・会社事業内容 

 港湾運送事業

 貨物利用運送事業

 通関業

 海運代理店業

 倉庫業

 その他関連事業

・会社連絡先   

 総務人事グループ人事チーム(採用担当:川瀬、佐野)

 Tel   : 052-651-1113

 e-mail : jinji@auk.co.jp

・会社ホームページ: https://www.auk.co.jp/


2022年04月01日(金) 国立八期生の・・・クラス会あれこれ

昭和33年(1958年)に入学した私たち国立八期生、航機60名の中で卒業後15年程したころより船員としての船会社、陸上勤務者、港湾関係企業などに勤める東京近辺在住者が随意に交流の機会を持っておりました。国立八期生としてのクラス会は続いていましたが同級生の居住地が広範囲にわたっているため75歳を過ぎたころより一堂に会するのは負担にもなり母校のある鳥羽で開催後は関東、中京、関西地区で続けようと言う事になりました。今は関東地区18名、中部地区11名、関西地区6名程の構成になっていますが関東地区で行う場合地区の垣根を越えて 17~18名の同級生 が集まっています。

今回は関東地区の集まりについてお話することにします。

それ以前から、陸上勤務になった坂倉君が旗を振ってくれて2~3年に一度程の間隔でクラス会を持っていました。

つてを頼りに会場は 郵船、商船、Kライン、山新等船会社の保養所、海員会館等、又、品川駅前の嵯峨野という大きな居酒屋も使っていましたが会場探しに苦労していました。2012年からは明治神宮に隣接している代々木俱楽部に会場を得てから定着したようで、コロナ禍により中止せざるを得なかった2020年を除いて毎年続いてきています。最近の“ヒュ-マニエンス“というNHKの科学番組の中で”人は成長期に長く共にした寝食により腸内の細菌を組成するDNAが同じものになりその結果腸内細菌同士が友を呼びあうようになる“という意味のことを言っていました。毎回顔を合わせれば昭和33年入学以来64年の時間は一挙に飛び越えられます。まさにこれだとクラス会の妙味に納得がいった次第です。

私たちが入学のころ身体検査の中でM検という検査がありました。今でも行われているのでしょうか。相撲の新弟子検査のような格好の中で校医の久野(?)先生が手のひらでMを持ち上げて検査するのです。その時会場で ”何しやはりまんねん!“と叫ぶ声が聞こえました。その声の主はずっと飛田喜八郎君だと言われていました。ところが去年の会の席上、あの言葉を言ったのは私ではありません。私は京都出身ですからあの言葉は使いませんと60年来の冤罪を告発する発言をしたのです。皆本当にびっくりしました。60年以上もの間信じ込んでいた歴史的事柄がひっくり返ったのですから。しかしながらあの言葉だけは確かに聞いたという人もおり、では誰だったのかと言うと又、霧のかなたに隠れてしまいました。昭和33年と言えばまだ日本は貧しくて食生活も豊かではありませんでしたがそれでも寮の生徒食の質素さには驚きました。朝食のアルミの椀に沢庵二切れと何か副菜はあったでしょうか。広く少しうす暗い厨房にどんと据えられた竈(かまど)にふた抱えもあろうかと思われる鉄鍋から姉さんかぶりをした小柄なおばあさんが畑の肥溜めに使うような大きな柄杓(ひしゃく)で鼻をすすりながら ”あんたらなあ、わるいことしたらあかんでえ“ などと言いながらバケツにどぼどぼと入れてくれたみそ汁は関東から行った人間には異様に色が濃く、濃い味とともに馴染むのに時間がかかりました。しかしあのおばあさんが注いでくれたあのみそ汁と消灯後上級生に連れられてエスケープして真っ暗な砂利道の”焼き飯坂”を超えて行って食べた“トンちゃん”のホルモン焼きの味こそが共通のDNAをもつ腸内細菌を育ててくれた原点だと思うと64年たった今、あの調理場のおばあさん、おばさんそしておたえちゃんと呼ばれていた娘さんたちの顔がしみじみと懐かしく感じられます。年季を経た”木筋つちクリート二階建て“の校舎の廊下は歩けばミシミシときしむ”鴬張り“の様、天井は掌(てのひら)をたたくとビーンと響く”鳴き龍“の様な構造に変化しており今ではさしずめ重要文化財級と言えるような状態でした。寮の廊下は ”タンツー“で磨いていましたね。真冬の朝でも消火用ポンプで廊下に水をまき、ズボンの裾を膝までまくり素足でカウボーイがロープを束ねるように荒縄で作ったタンツーで一斉に掛け声をかけながら腰を落としてこすって行きました。外出の時はその磨き上げた廊下を革靴のまま歩いていましたが足元の廊下の木肌の白さは今も脳裏にはっきりと記憶しています。

入学して暫くたってからの手荒い歓迎行事は”肝試し”でした。

私たちのコースは参宮線を超えた先にある入り江に面した火葬場の窯の中に置いてあるものを持ってくるというものでした。線路の手前の小川にかけられた木の橋を渡る際、下に潜んだ上級生がわっつと叫ぶ大声に跳び上がり、焼き場では真っ暗な中で窯の中を探る手を中に潜んだ上級生にぎゅっと手を引っ張られたり、散々のフルコースでした。

ホームシックに慣れるまでは9時の消灯後に通過する上りの最終列車の汽笛を聞くと無性に家が恋しくなりゴールデンウイークで帰省できる日を千秋の思いで待っていたのを覚えています。

一学期の期末試験が終わると商船学校特有の水泳訓練がありました。観海流という流派の先生がきて長く泳ぎ続けるための日本泳法の指導を受けました。二週間の訓練の後に遠泳があり当時は池ノ浦の対岸にある海からしか行けないと言われた(商船専用の?)浜まで5キロと聞いたコースを志賀教官が先頭の伝馬船で山鹿流の陣太鼓と称して打ち鳴らす石油缶の音に鼓舞されて泳いでゆきました。

波打ち際の深みに生息する夥しい海(う)栗(に)の上に足をつかないよう気を付けて上がって配られた飲み物が無性においしかったことを覚えています。

チリ地震による津波も印象に残ったことです。1960年、62年前ですから二年生だったでしょうか、現在のように情報は迅速に伝わらない時代、何の警報もなく学校の前の海が急激に引いて行きずいぶん沖まで海底が表れたような気がします。

校庭まで1メートル位浸水したと記憶していると言う友人もいます。 

もう一つの謎というのは焼き飯坂事件です。峠のようになった焼き飯坂の上を跨ぐように伸びていた松の枝に藁で人形を作り普段着ている白い生徒服を着せてぶら下げておいたところ暗闇の中で見たエスケープ(脱寮)して帰る上級生が腰を抜かさんばかりに驚いたという話です。犯人は同級生の仲間内では斎藤正君と佐藤要君だと囁かれていました。コロナ禍が明けたら集まった席上で真偽を確かめてみたいと思っています。

皆で顔を合わせて昔のことを話せば一瞬にして同じ記憶が蘇ってきます。若いころ気力、体力が横溢していた頃、昔話は前向きでないと敬遠していましたが最近の脳科学では昔のことを思い出す頭脳作業は脳が活性化され老化防止に大いに効果があると解明されたと聞きます。

ここまで毎回20名近くの参加者で続けてこられたのは長く旗を振り続けてくれた坂倉修君とそれを支えてきた簗田秀平君の労によるところが大いなるところです。その坂倉君は2019年、天皇陛下の即位記念パレードを参観してクラス会を開こうとした際、杖を頼りにクラス会に参加した席上、俺はもうだめだから後を頼むよと言いだしました。そして1か月後の12月29日、風のように鬼籍への航海に旅立ってしまいました。通夜の席では参列した級友たちで校歌、寮歌を歌って送りました。

80歳を超えてきて鬼籍に入る人が増えてきました。クラス会を纏めてくれた坂倉君と数名の同級生を偲ぶ機会を持とうという声に後押しされて20年4月新宿御苑で八重桜を観てからクラス会を開こうと企画しましたが直前で緊急事態宣言により開催を断念せざるを得ませんでした。そしてコロナの第5波が一息ついた昨年21年の11月、一人の女性から電話がありました。心覚えのないまま電話に出ると父がクラス会に出席すると言っているが体力が落ちていて心配なので会場まで送りたいという娘さんの申し出でした。同じような年ごろの娘を持つ私はその親を思う心に深く心うたれ、趣味としている手打ちそばを打ちお土産にするとともにくじ引きで参加者にも配った次第です。会場に現れたのは同級生、娘さん、その孫と三代に亙る顔ぶれでした。記念写真に闘病中や病後の友人たちへ励ましの言葉を書いたメッセージと共に入ってもらい集合写真としては初めてみ見る珍しい光景ができました。

私たちの会ではこれからもクラス会を続けたいという機運があります。腸内細菌同士で結ばれた絆を通して交流し互いに励ましを得る機会にして最終コーナーの第三ステージに潤いを添えられるよう旗を振り続けたいと話し合っています。

(この文章は同級生、簗田秀平君との記憶をたどって書きました。曖昧な部分があるかと思いますがご容赦をお願いする次第です)

国立八期生  吉田義郷 記