2014年08月19日(火) 白菊寮南寮 解体さる
母校の白菊寮は年初から解体作業が始まっていましたが、作業が進み、先ず北寮、そして南寮もほぼ解体されてしまいました。 その時にお世話になった私たちにはとても残念なことですが。
元食堂と連絡廊下が映っていますが、元食堂は残るようです。
母校の白菊寮は年初から解体作業が始まっていましたが、作業が進み、先ず北寮、そして南寮もほぼ解体されてしまいました。 その時にお世話になった私たちにはとても残念なことですが。
元食堂と連絡廊下が映っていますが、元食堂は残るようです。
梅雨は終わっていませんが30℃を超える暑い夏となっています。 その中で母校のカッタ―部が池の浦で練習に精を出していました。
近藤真琴記念碑は母校の正門をはいったすぐ右側、百周年記念資料館手前に建っていますが、もともとは鳥羽の錦町に建てられたものです。昭和15年学校の記念事業として記念碑を校域に移築しました。 それ以降、大切に祀られてきましたが、平成2年現在位置に再度移築されました。
学校が近藤真琴記念碑の周辺のお白石を新しくし、木々の手入れをしてくれました。
鳥羽城の石垣などの整備工事が済み、見違えるようになりました。 昨日、春の陽気に誘われて、その鳥羽城跡に行ってきました。 本丸跡に向かう途中の道路わきには「鷹羽龍年の鳥羽城詩碑」とその案内板がありました。その案内に「鳥羽藩の尚志館の講師であった鷹羽龍年は近藤真琴の先生であった」とありました。
先日、白菊寮が解体されているとの「投稿」が有りましたが、その後の3月3日の様子をお知らせします。 写真は解体前と現在。
ほぼ解体されてしまいました。